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和泉

2010年6月18日 (金)

大仙の日本庭園、再訪

先日の報道によると、『文化庁は14日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産への推薦に向けた国内暫定リストに、仁徳天皇陵などを含む「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(大阪府)を追加することを決めた。』こんな話題があった。

先日あたり、花菖蒲も咲いていた。すこし前なので、もう終わりかも。

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それで思い出して、去年621日の記事の再録とする。

摂津・和泉・河内の三つの国の境目が堺であり、三国ヶ丘と言われる。その少し南に世界最大の前方後円墳「仁徳天皇稜」がある。百舌鳥古墳群の代表的な陵墓であり、宮内庁管轄で内部に立ち入ることはできないが、南側正面の拝殿からの見学はできる。
日本最大の前方後円墳のような言葉を漠然とイメージすると、羽曳野の応神天皇陵とともに何やら古代の河内に王朝政権があったかのようなイメージになるが、そうではない。
いずれも首都としての都は難波(なにわ)である。仁徳天皇の皇居は難波・高津宮(たかつのみや)であり、応神天皇の宮殿は難波大隈宮(おおすみのみや)である。当り前であるが、お墓と宮殿の位置は必ずしも一致しない。どっちにしても宮殿の地、首都は難波ということになる。当然といえば当然なのだが・・・

仁徳天皇稜と御陵通りの道路を挟んで南側が「大仙公園」になる。

庭園鑑賞は6月がシーズン(勝手決め)ということで、はたまた思い立って大仙の庭園(大仙公園 日本庭園)を再訪してみた。よく整備された日本庭園である。大仙公園の西寄りにあるのだが、公園東側の入口近くには茶室「伸庵」や「堺市立博物館」もあるが、ここからはかなりの距離がある。

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大仙公園日本庭園【庭園概要】パンフレットより
総 面 積●26,000
庭園形式筑山林泉廻遊式
設   計大阪芸術大学教授 中根金作
休 憩 所数奇屋風寝殿造り(建築総面積:376.07㎡和室1884畳・土間181.7㎡)
管   理南海・田中・大阪造園共同企業体(指定管理者

庭園は南北に長い敷地に、筑山と池や渓流、滝などをしつらえた本格的な日本庭園である。庭園内の建物は数奇屋風の大きな「休憩舎」の他に、「甘泉殿」「傘亭」「流杯亭」「青苔亭」がある。休憩舎の和室は集会等に借りることもできる。

大仙公園も散策したのだが、私のお気に入りの堺市管理の公園。

2010年6月 9日 (水)

浜寺公園・高師の浜

浜寺公園はかつて高師の浜と呼ばれたそうだ。高師浜の地名は今もあるし、高師浜という駅もあるので、別のニュアンスと思っていたがちがうようだ。
浜寺公園は大阪の海浜リゾート地として、昔から大阪人には馴染みの場所である。
周辺は早くから開けた閑静な住宅地が続いていることでも知られている。
何より、かつて大阪では最も身近な海水浴場だった。今もその名残は十分に残っているのだが、昭和30年代に埋立て人工島が造成され、白砂青松の海岸はコンクリート護岸になると同時に、浜寺水路を挟んで対岸の人工島にコンビナートが横たわる光景となった。
沖合は堺泉北コンビナートの人工島に変貌したのである。石津川の北側も埋立地が造成されて築港新町なる場所に「みなと堺グリーンひろば」などがある。ともに飛行場ができるほどの広さがある。対岸の人工島の陸地側は泉北臨海緑地が整備され、阪神高速・5号湾岸線が通る。

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園内は広大な松林が続いており、暑い初夏なのに松林の緑陰は不思議なほど涼しい。

一見しただけでただの松林ではない雰囲気は伝わってくる。おそらく浜寺公園は有名だが、現在の事情は知られていても、それ以上に深く知られることはないと思える。

大きな府営公園なので私自身も何度も行っているのだが、特別の施設以外は無料なので、あまりパンフレットを見る機会がすくない。今回汽車乗り場の花壇広場前駅まで行ったら、パンフレットをくれた。それでパンフレットを入手できたが、さもなければ、パンフを受け取る機会はない。しかも由来などを詳述しているパンフもあるので、関心を持って読まないと一生知る機会はない。私がそうだった。

主な施設は「ばら園」「交通遊園」「児童遊戯場」「プール・大小9面」「野球場・球技広場」「テニスコート」「アーチェリー練習場」「レストハウス」などとなっている。

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パンフレットによると、「日本の名松100選」というだけでなく、万葉の時代から愛されてきた松林だそうだ。

白い砂と青い松の美しい景観は「世に比類なし」と謳われていたとある。

パンフレットのひとつに【浜寺公園記】というのがあった。「浜寺の歴史を語る白砂青松のものがたり」とある。そこには、

【浜寺の由来】

元享年間(13211324)に建立された「大雄寺」が、後の南北朝時代に吉野山を「山の寺」と呼ばれたのに対し、「浜の寺」と呼ばれたことに由来する。

【高師の浜】

浜寺公園は万葉の時代から高師の浜(たかしのはま)と呼ばれていた、美しい松原の続く海岸でした。と解説されている。

現在の地図では、南海本線の羽衣から高師浜支線が別れて、終点が高師浜駅となっている。羽衣の南に高師浜の町名もあるのだが、パンフレットには浜寺自体が高師浜と呼ばれた、とある。

これは「高石の浜」が詰まって「高師浜」になったと考えるのが自然である。

羽衣、高師浜、浜寺にしても、周辺の諏訪ノ森、助松にしても、みな美しい地名である。

明治期に入ってから、幾度も伐採の危機にさらされたが、当時の村民や大久保利通の尽力により、守られてきたようだ。

「濱寺公園碑」の他に、大久保利通の「惜松碑」、「与謝野晶子歌碑」などの石碑が建立されている。

パンフ記載のうちの歌二題

おほともの

高師の浜の松が枝を

まきてしぬねど家ししのはゆ

           万葉集

ふるさとの

  和泉の山をきわやかに

    浮けし海より朝風の吹く

          与謝野晶子

大阪湾はちぬのうみと呼ばれた。
すでに還暦を過ぎた私が振り返っても、住まいは大阪市内であったが、小学校の遠足は大浜に潮干狩りであったり、中学あたりになると、浜寺に海水浴というのが定番になっていた。浜寺は松林の続く遠浅の海岸が続いていた。
阪堺線でも、阪和線の鳳乗換えでも天王寺から行けるのは今も変わっていないのだが、当時、海水浴場がなくなってから、代わりにプールができたと聞いた。
大阪は大都会でありながら、すぐそばにこんな贅沢なリゾートがあった。何ものにも代えがたい価値ではないだろうか。

浜寺公園が私にとって気になる公園というのも、松林に対する憧れもあるが、子供時代から馴染んだのと、この美しい海岸を潰してコンビナートにしたことが、戦後の大阪の最大の失敗とする意見も聞かれるからである。非常に美しい自然風景などは都市の価値を高めこそすれ、落とすことは決してない。


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