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歩く大阪

2010年5月20日 (木)

逆説の大阪論:天王寺から難波まで歩く・その2

なんさん通りを西に向かった。もう難波まですぐである。

電気街は拡大しているようで、南海難波駅まで伸びている。

堺筋のひとつ西側の広い南北通りを見ると、やはり大賑わいの人通りであった。何か集客のある店舗があるようである。

上新難波店までくると、信号があり北に行くと吉本会館の東側、東道具屋筋とある。

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まっすぐ西に行くと、もう南海難波駅は近い。なんばCITYとか、きれいなショッピングゾーンならこっち。

濃いのをお望みなら、もう一本西側のアーケードの道具屋筋を冷やかすのが面白い。。

これがぼくの昔からの予定のコースでもある。

この道具屋筋も昔からある。ナベ釜・食器から什器・家具まで、プロ用のが揃っている。

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これは見てみると、「オッ!」と、じっさい新鮮な感動になる。

どこの観光地にもある土産物屋の大阪版といえようか。しかも本物だから見て損はない。

この通りを抜けると、難波グランド花月が見えてくる。左はワッハ上方、府立上方演芸資料館。ビル前はちょっとしたたまり場になっている。このビルにはジュンク堂書店が入居にている。たしか大阪進出はこの店からだった。

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とくにこの店は図書館顔負けに、座り読みOKと椅子が並べてある。考えてみればこれも凄い逆説商法ではないか。

鵜呑みに受け取れば、「本は買わずに、店内で座ってお読みください」となる。

他の店舗の事情は知らないが、大阪でも濃い場所といえる難波だから通用するのかもしれない。店内で読んで買わずに帰るなど、けっしてできないのが、この濃い地域のお客さんの気がする。

左に折れれば南海通だから、南海難波駅までスグである。

難波高島屋の前に立ってみる。この春に増床オープンしたらしい。

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東側が事務所棟だったのを売場に改装したのと、裏側あたりも増築工事をやっていたので、広げたようだ。いずれも2011年梅田対策といえる。

南街会館だった向いは丸井になってからかなりたつが、どうだろう。

鼻息の荒い、なめたコメントがあったのを記憶している。大阪人には鼻に付く感じもあった。

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すくなくとも大阪で成功を収めるのは、そう甘くないはずだ。

大阪は小売商売の素人だが、デパートに関しては先進地なのである。なにより怒涛の競合にさらされている。

なに、東京からの進出だと!

東京の店に価値をおかない。地方都市のように有難がらない。

残っているデパートを見れば東京の会社などというのは、大阪では何の価値も持たないのが分かる。大阪で成功を収めるのは、ただひとつ。店舗そのものの魅力だけである。

御堂筋方向を見ると、新歌舞伎座が見える。上本町の移転先のビルは完成が近いはずだから、この姿もそう長くないだろう。これも設計は村野藤吾だった気がする。

堂々のRC桃山造りの殿堂。長い間ご苦労様といいたい。

官製の東京の街とちがい、難波はJR駅のない珍しいターミナルである。大阪は民都というのもうなずける。

まっすぐ歩けば、40分くらいで着く距離であるが、あっちこっち店を冷やかしながらの道中なので、3時間くらいかけて歩いた。

歩くと疲れて腹がへる。うどん屋でちょい食いした。日本橋に飲食店需要もあるようだ。

このコースはこれまで三度目くらいだろうか。難波が目的地なら歩けないが、移動の途中が目的なので歩ける。だいいち天王寺から恵美須町までが中途半端。日本橋は難波からつながっている。電車なら難波が近い。

2010年5月18日 (火)

逆説の大阪論:天王寺から難波まで歩く・その1

「新世界・堺筋」

御堂筋を歩くひとは多い。梅田から難波まで4kmあまり。オフィス街の整然とした街路を歩くのは気持ちのよいものである。

天王寺から難波まで歩いてみた。適当な距離だし、歩いて面白いコースといえる。

都市を考える材料として、あるいは大阪という都市の特徴を見るため、歩いてみたのである。大阪の都心部は狭いけれども、非常に高密度が特徴といえる。

難波から天王寺は大阪都心から外れた場所といえる。

都心は船場・島之内、伝統的に難波から南側は都心ではない。江戸時代の市街地がそのままに伝統的都心で、加えても西船場あたりか。

ビジネス街を見ると、大阪は極めて都心指向が強いことが分かる。大企業の事務所などは由緒正しい場所に構えている。大阪の正統な場所はあくまでビジネス街といえる。それが大阪を一層高密度な都市にしている。

天王寺から難波までは、直線距離にしても2kmほどである。途中寄り道しなければ、30分あまりで着くかもしれない。だが、このコースははじめから道中寄り道が目的になる。

スタートはJR天王寺駅北口から。

天王寺公園の自由歩道を西に歩くと、新世界までしれている。美術館や動物園を横目に見ながら10分程度で着いてしまう。

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かつては大阪人も寄り着かない新世界だったが、観光客で賑わう街になった。東京マスコミ様さまといったところか。

たしかにテレビに頻繁に映されるのは、目印として抜群の効果があるようだ。演劇の「朝日劇場」とかの看板がある。日活ロマンポルノか、ポルノ映画の上映もあるようだ。近頃は大阪ではポルノ映画もすくなくなった気がする。

宴会、飲み会でも下ネタは評判がよくない。恥ずかしがりの多い大阪では下ネタご法度と心得るべし。へんに下ネタをやると人格を下げる。

すぐに通天閣の下に出る。待ち時間20分とある。

いつも入場待ちができるとみえる。

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通天閣の足元を中心に道路が放射状にある。観光客が増えたお陰で、いろいろな店が気合を入れているようにも見える。天王寺に馴染みはあっても、新世界は大阪人にも珍しい街といえる。興味半分で来る以外になかった。

恵美須町交差点に出た。堺筋と国道25号の交差点である。

もう日本橋電気街はすぐそこ。交差点を渡り浪速警察横の歩道を北に歩く。

東側歩道から北へ流す。

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本気ではないけれども、最近の事情は分からない。50年前には日本橋は電気街として名は知れていた。上新のパソコン主体の店がある。はたして部品は売っているのかさえ分からない。このあたりにニノミヤ無線のエレホビーという店があって、部品を買ったことが何度かあるが、今はない。

何にしても、経営というのはじつに難しいが面白いものである。

最近の電機店の小売市場を見ると、ヤマダ電機やヨドバシカメラなど関東勢に押されっぱなし。この現象に、私は大阪の商業都市の性質を見る思いがする。

つまり大阪は商売の素人ということ。大阪は小売商売の素人だから、とても関東には歯が立たない。

大阪が商業都市というのは、卸売の町の意味と前に書いたことがある。だから小売商売は素人。小売と卸売はちがう。小売商売の洗練度では関東にかなわない。

新聞の株式欄を見るとすぐに分かるが、卸売というのは、伊藤忠や丸紅といった商売を指す。いわば特権商業なのである。

トーメン、ニチメン、日商岩井、蝶理、長瀬産業などたくさんの商社が大阪にはあった。

業種的には各種商品卸売業に分類するが、本質は業種ではない体系的上位の階層分類といえる。こうした特権商業に比べたら小売商売は非常に厳しいし難しい。

西側のすこし入った場所に昔は五階百貨店というのもあった。バラックの2階建にジャンク売場のような商品を並べていた。西側歩道に移動したのだが、見落としたのか通り過ぎたようだ。

大した目的もない。流して大まかな店舗の確認をするくらい。

歩き疲れて自販機の飲み物を買うのに東側に移動したら、横道にメイド喫茶なる店があった。普通の喫茶店にウエイトレスがメイドの格好をしているだけのようだった。

ぼくは電気に興味ある方だったし、金属工作をよくやった。ハンダ付けは馴れた工作だった。男の子の数少ない趣味かもしれない。

北上するにしたがって、女性を連れたカップルも増えるけれど、女性同志連れはいないようだ。

消費の王様は女性といえるなかで、数少ない男性市場が電気街だろうか。男でもどちらかというとオタク市場か。

すこし広い横道で、西側を見ると歩行者が多くて賑わっていた。NTT電話局のあたりだった。日本橋南3のT字交差点角に、昔からヤマギワ電気があったはずだが、この店も撤退したのだろうか?

ここまで来ると、もう高島屋東別館が大きく見えてくる。

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たまに車で通過するときなど、いつも凄い建物だなと感心するので、今日はこれくらいは撮影しておきたいと思ったのだった。

よく知られているように、旧松坂屋大阪店の建物である。天満橋に移転したものの、結局大阪から撤退してしまった。

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ここで脳裏をよぎるのは堺筋のかつての栄華ということ。

昔は堺筋が大阪のメインストリートだったという。いまではよく知られた説となった。都市伝説といえるかも。

誰かが最初に書いた感想がこれほど普及するとは。

そういえば、40年前ごろに大阪市電の運転手をされていた、Yさんも鉄道雑誌に書いておられた。

私は四つ橋筋中心説をとっていて、堺筋中心説に必ずしも全面賛成ではないのだが。

それが逆説の大阪論だが、またの機会とする。

高島屋は大阪が本店なのだが、最初の大阪進出は心斎橋とある。

その後、長堀橋から難波・南海ビルの完成で難波に定着したようだ。

高島屋の長堀橋はどこにあったのだろうか。もしかして、元丸善石油(現コスモ石油)本社のあった、たしか白水ビルと言ったあの場所かもしれない。

白水ビルは気になるビルだったので、昨日現地に行ってみたら、広い敷地は更地になって、工事用囲いがあった。建替えの情報の記憶はあったから仕方ない。

このビルは心斎橋そごうの建替え前のビルに似ていた気がする。堺筋にしては威容と思える南北に長いビルで、縦ストライプの破風板が意匠になっていた。

白水ビルは知らないが、旧そごうは村野藤吾の作品だった。あとはシェラトン都ホテル大阪も。

堺筋には高麗橋の三越以外に、りそな銀行本店の北側、備後町に白木屋があったらしい。私は白木屋という未知のデパートゆえ長堀橋と混乱していた。

高島屋別館の中は何に使われているのだろう。たいした近代ビルなので、よけいに気になる。

あとで調べたら、3階は高島屋歴史館か資料館とあった。いちどのぞくべきかもしれない。知りたいのはとくに長堀橋の場所なのだが。

短く書くつもりが、長過ぎたので二回にしたい。

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