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弁天町

2010年3月23日 (火)

続、弁天町なぞなど

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弁天町の位置づけとなると、オーク200・ホテル大阪ベイタワーなどの高層ビルはあるけども、大阪的価値観での評価となると全然弱い。街としての存在感があまりない。大阪の価値観には特徴を言い過ぎるところがある。

最近はようやく御堂筋も立派な通りと認識されるようになったが、以前は必ずしもそうではなかった。マスコミの記事によくあったのは「休日は銀行のシャッターが閉まって楽しくない!」や「歩いて楽しいオープンカフェを」とか・・・。

大阪の中枢だから銀行などのビルが多く軒を並べるが、近年は金融機関が撤退して、多くの提案者の希望通り、カフェなどの店舗が増えた。カフェやショールームなどならまだしも、コンビニも一軒できていたので、私はショックを受けたのだった。私のいう御堂筋とは、淀屋橋-船場中央間なのだが、本当に御堂筋にコンビニは最近までなかった。

私には理解に苦しむ提案だった。金融機関のビルが並ぶストリートと、歩いて楽しいお店が並ぶ通りと、どっちが重要で評価できるのか?

もちろん都市の重要性を考えるならば、金融機関が並ぶ通りが立派で重要なのは論を待たない。簡単にいえばオフィスビル街を評価すべきなのだが、これができていなかった。

同じビルでも、オフィスビルとマンションでは重要度はまるで違う。住機能のマンションの影響力などほとんどないに等しい。その都市の力量は都市圏のつなぎ止めている人口の問題であろう。

だから、どきどきこういう提案が新聞に載ったりすると、大阪を衰退させたい人の意見と思ってしまうのだが、どうだろうか? 要するにデパートや目立った商業施設のない新大阪をもっと評価する必要があるかもしれない。

大阪的価値観は軌道修正が必要である。それは得体の知れない権力によって監視されているように見える。政府はもちろん、記者クラブの場合もあって、その場合は統制がとれているのでわかりやすい。橋下知事誕生の府知事選挙では大阪府とは一切いわず、府抜きの「大阪知事」と各新聞の統一は完璧だった。

先月の2月には突如、ミナミ・キタの報道が多くなった。このミナミなどとカタカナで書くのは非常に悪い見本で、大阪はこの言い方をやめるべきなのだが、なくならない。

なぜやめるべきなのか? これは都市の多様性を拒否している。あたかも大阪にはミナミとキタの二つしかないような印象を与える。観光案内のほとんどすべてにこう紹介されているのも痛い。大阪をほとんど知らない人間でも、ミナミ・キタの言い方は知っている。

これは旅行先で言われて、ショックを経験したことがある。

大阪を魅力的にする方法の一つは、ミナミというのをやめるだけで相当の効果が期待できる。都市の魅力は、多様性であり、どこまで行っても未知の場所があるような広がりにある。

残念ながら、この言い方は大阪自身が言い出した言い方であるが、得体の知れない権力は心得たもので、大阪にとってマイナスになる事象をピックアップして強調するのが得意とする。大阪が大阪自慢のつもりで、再建した通天閣もすっかり上げ足取りされてしまった。いまではダントツの大阪名所。はては鶴橋まで大阪名所にされてしまったのには恐れ入る。

都市の多様性を拒否している部分や、大阪的価値観の偏向振りは大阪市の政策そのものにも内在している。明治以来国家と対立してきたのが、そうしたゆがんだ思想になった気がしているが、これは非常にわかりにくいが興味のある現象といえる。

弁天町の位置づけから始めた話なのだが、戻すと・・・
弁天町とはベイエリアへの玄関・入り口とするのがもっとも適正な性格であろう。オーク200のホテルは「大阪ベイタワー」だし、天保山や南港に行くにも、弁天町が中継点である。道路ににても同様、国道43号と十字にクロスして中央大通があって、大阪港、南港方面となる。

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オーク1番街

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オークの案内板、オーク200はオフィス階が多い。
プリオタワーもオフィス階がけっこうあるのは知らなかった。これが重要!

2010年3月16日 (火)

交通科学博物館の見学

せっかく弁天町に行ったなら、「交通科学博物館」を見学してみよう。

大阪環状線開通を記念して昭和37121日開館した。設立所有は国鉄からJR西日本に引き継がれ、交通文化振興財団の運営となっている。

私自身は昔はよく通った。専門図書では他の追随を許さないので、主たる目的は図書館利用だったのだが、今回は30年振りくらいになるだろうか。大型書店も多いが梅田・旭屋書店本店が鉄道図書では圧倒的な品揃えなのと同じ理由。図書室には鉄道ファンの大御所であった、西尾克三郎さんが勤務されて相談にのっておられた。

スタート当初から「交通科学館」の名称だったが、1990年頃に現名称に改称している。

展示は屋内展示場と屋外展示場、それに第二展示場がある。

屋外展示場とホールの建物は、弁天町駅の東側の敷地で、駅の前庭といった感じ。屋内展示場は駅の高架下になる。

展示物は屋外に各種の実物の保存車両があり、屋内展示場はいくつかの区切りで、鉄道主体に実物のモックアップや、20分の1の精密模型などの展示が多数ある。

鉄道以外にも自動車、飛行機、船舶関連の展示もある。北ゲート側は第二展示場になっているが、昔のホールと呼ばれた独立の建物は映画の上映などに利用されていたが、現在どうなっているのか確認できなかった。

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C62と下は運転台、右の機関車はD51の初期形のナメクジ

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D51の動輪と弁装置のロッド

下は独立の建物、昔はホールだったが・・・

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181系先頭車、クハ181の先頭部分

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C53の20分の1模型、三気筒のSLで戦後復活整備して、大阪-神戸間で運転された機関車。交通科学館に展示するために整備されたと思います。いまは梅小路に移設。

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これは221系電車の運転シュミレーション。
以前は福知山線だったのが、現在は中央線、三鷹-西八王子間になっています。

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これは大阪環状線の安治川橋梁の工事中の模型。

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サンタマリアの模型

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207系の模型

実物展示の蒸気機関車も、京都・梅小路蒸気機関車館に移設されたC53などもあって、すこし寂しくなった印象もある。特急「つばめ」の最後尾の展望車マイテ49がなくなっていた。替わりにスシ28があったけど。私も3軸ボギー車には乗ったことがないのだけがこころ残りになっている。ブルトレの食堂車、ナシ20も展示されていて、休日は営業しているのかな?

そういえば、図書館利用以外には食堂車でコーヒーや軽食を食べるのも楽しみだった。軽く走行音のBGMでも流すとより雰囲気がでたかもしれない。

屋外、屋内にかかわらず、実物の車両は大きく見える。普段はプラットホームから見ているが、地上に降りるとこんなにも大きいのがわかる。

屋内展示場のいちばん北より奥の部屋には模型パノラマがある。80分の1HOゲージの大規模レイアウトである。

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模型パノラマ室

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図書室

東京の交通博物館は一度昭和40年代に行ったことがあった。神田の近くの古い高架下にあったと記憶するが、調べたら万世橋の独立の建物になっている。どうも記憶と合致しないのだが、東京は不案内なので万世橋といわれても?それ以上わからんってことになるけど。昔、万世橋という駅が存在したらしい。昔の中央線の起点は飯田橋の記憶があるので、これも記憶とのズレがある。今はさいたまにできた鉄博になるけど、行く機会があるだろうか。

なにせ大阪からは東京の向こう側になるし、京浜東北線も赤羽までしか行ってない。

東京から外に出るとなぜか、ヒラガナやカタカナになる不思議。横浜MMとかも。ダサイが承知の上だろうか?

またまた、すこし訂正。前回の大阪環状線の開業日が昭和36421と書いたのは、425日の誤りに付き訂正。

もうひとつは3月1日の「早春の山岳ドライブ」で、賀名生梅林の賀名生(あのう)を阿賀生とか書いたのも、訂正します。なぜ後から訂正するかというと、文字を一字変えるとレイアウトがグチャグチャになるのですよね。

賀名生は南朝の天皇の行在所が置かれた地。最後に賀名生梅林を紹介しているブログで、大阪のブログのようなのでリンクを入れておきます。「ROSSさんの大阪ハクナマタタ」・・・

2010年3月14日 (日)

弁天町の印象

弁天町といえば交通科学博物館があって、昔は鉄ちゃんの聖地だったのだが・・・
最近は200m級の超高層ビルが増えたりで、けっこう目立つ場所になっている。

大阪環状線の開通は昭和36年4月21日で、それまで弁天町は大阪人さえ知らない、まったくの無名の地名だった。
なにせ、大阪砲兵工廠のあった京橋OBPの地名が当時、弁天町といわれていた。すでにOBPに弁天町の名残の形跡はないと思うが、ポンプ場か何かに名残があるかもしれない。

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交通科学博物館の展示写真「大阪環状線開通式典」

やっぱし、大阪市内の交通は市交通局が中心になっていたようだ。つまり市電が市内交通機関といえた。それで、大阪西部、湾岸寄りにJR大阪環状線が開通した。
開通区間は天王寺-西九条間であった。開通当時の駅は大正と弁天町の二つだけだった。
天王寺を出ると、大正まで駅はなかった。2~3年したら、新今宮駅が開業し、つぎに芦原橋駅が開業した。昭和40年頃だったと思う。今宮駅は関西線の駅だったが、いったん廃止の決定したものの、反対運動があって、復活した珍しい駅である。

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写真は境川の市交通局庁舎から

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この写真は交通科学博物館の敷地内から撮影

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あとの2枚は、以前に掲示板で発表した写真。
生駒山からの撮影。最後の写真を見ると、クロスタワーベイに串刺しに沈みました。
ぼんやりして、はっきりしませんが、うしろの方に明石海峡大橋があるような、ないような写真です。

とりあえず、弁天町は次回も少しやりますが、今回はこれだけに。

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