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四つ橋・なにわ筋・西区

2009年9月15日 (火)

西区、気の向くままに:そのⅣ

夏を惜しむように長い間晴天が続いたが、週末から雨の日が多くなった。季節は確実に変化しているようだ。しみじみと秋を感じる今日この頃である。

西区の都心寄りはかつては「西船場」と呼ばれた地区になる。概ね四つ橋筋から木津川まで、土佐堀・江戸堀・京町堀・靭本町・西本町などの町名がある。近代になって行政は船場の地名を避ける方向だったのが読み取れる。御堂筋線の本町駅の意味するところは「船場本町」であるが、中央大通りの交差点は「船場中央」となり船場が復活した格好である。

船場は西横堀川が境界になるので、四つ橋筋は西船場だが、前に触れたように、碁盤目の大阪市街の中で、四つ橋筋から西側は堂島川に沿うように街区が北西に降れて正碁盤が崩れている。

西区の区役所は長堀通りの新なにわ筋から西に入った新町4丁目にある。56年前に建替えられて、新しくなっている。

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▲西区役所(ウィキペディアから引用)

土佐堀通りないし、本町通りを西に木津川を渡ると川口になる。かつて外国人居留地だった地区であるが、府庁が置かれた江之子島の対岸になる。川口には住友倉庫やレナウン系のアパレルメーカー、ルック大阪支店がある。かつてはレナウンルックの社名だったが改称したようだ。

西区で忘れられないのは四つ橋の北東角にあった「市立電気科学館」がある。これは中之島に「市立科学館」が設立されて、四つ橋の電気科学館の後継施設となった。

ここは大阪の子供は必ず行く場所であったかもしれない。お目当てはプラネタリウムで、何しろ日本で最初の施設だったし、世界でも三番目のドイツの機械であるのが自慢になっていた。

国産のプラネタリウムは、大阪のカメラメーカーだったミノルタが開発を続けて、世界でも大きなシェアを占めるようだ。

私も一眼レフカメラはずっとミノルタを何台も愛用したが、フイルムからデジカメへ移行し、最初に買ったデジカメもミノルタのディマージュだった。今見てもこれがいちばんよく写るカメラである。初期のデジカメはバッテリーの持ちが悪いのが欠点だったのと、かさばる一眼タイプだったので、今はあまり使っていない。

残念なことにミノルタもコニカと統合されて、一眼レフカメラ部門はソニーに譲渡されたし、コニカミノルタの本社も東京に行っちゃったのよね。

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最近の写真に適当なのがないが、先日、店先に秋の味覚が並んでいたので、葡萄と梨を買ってきたので、これで秋を感じてもらうのはどうだろう。

2009年9月12日 (土)

西区、気の向くままに:そのⅢ

旧大阪トヨペットと大阪トヨタのねじれは大阪と東京地区だけの現象だったが、東京の事情はその後どうなったのか疎いためによく知らない。

大阪府のトヨタ系列販売会社はその他にカローラ店が「カローラ北大阪」「カローラ大阪」「カローラ浪速」「カローラ南海」とあり、オート店というのもあったが、ビスタ店と再編されてネッツ店が誕生している。

一方の日産系列は一時期、多くの販売会社があったが、これも多岐に渡り再編されて、大阪日産自動車と日産プリンス大阪販売の二社体制に集約された。

ところが、面白いのは日産プリンス大阪は兵庫県東部、尼崎・伊丹・川西・西宮・宝塚等の阪神間でも販売をしており、阪神地域は日産プリンス兵庫は販売区域からは除外されて日産プリンス大阪の販売区域となっている。通常、府県単位に限定される自動車販売では例外的である。おっと!あんまり西区と関係なかったけど、昔に西区川口の日産のディーラーに勤務した縁があったので気になるのだった。

西区の企業立地やビル街は、一に「四つ橋筋」、二に「土佐堀通り」、三に「中央大通り」、四に「なにわ筋」の感じになる。西に寄ると機械や鋼材を扱う会社が多くなる。それに木津川に近くなると、どことなく潮の香りもしてくる。靭公園のあたりは昔は塩干魚市場や雑喉場魚市場があったらしい。空襲で廃墟になり、戦後に飛行場になる前の話である。

若い頃、四国・小豆島によく行ったが、四国航路の汽船乗り場はいろいろあった。古くは関西汽船だと、天保山桟橋だったが、昭和40年代には弁天ふ頭に変わった。いつだったか、加藤汽船では大正橋近くの大浪橋から乗ったこともあった。確かに西区は運河と海につながる街だったようだ。

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▲レナウン新町ビル

西区新町3丁目のあみだ池筋寄りにレナウン新町ビルがある。幹線道路から中に入っているので目立たないが、周りと不釣り合いなワンブロックを占めるほどの立派なビルである。レナウンとしては準本社のような位置付けのような気がする。

レナウンビルの北側にあったビルに以前、面白い石の球体が回る噴水があったので、行ってみたら企業ビルからマンションに建替えられて、なくなっていた。

その代わり、レナウン新町ビルに「日本ビクター」が入居していた。ビクターの大阪拠点は長く上本町近くの天王寺区味原にあったのだが、松下の傘下を離れて、ケンウッドと統合したようだ。今後の発展を期待したい。

最近買ったビデオカメラはビクターのエブリオにした。久々のビクター製品にしたのだった。松下のファンだった影響もあって、長く松下の子会社だったビクターは好きな会社だった。

VHS・ベータマックスのソニー・松下の覇権争いで松下が勝利を収めたのは子会社ビクターが開発したVHSのお陰であった。

私は大阪信者が染みついて、無条件に大阪企業の製品を特別信用するところがあった。テレビの買い替えは松下製品一筋だったが、最近買った薄型テレビは初めて日立にした。経済的な理由もあって値段優先で売り場で見て決めたにすぎないのだが。

2009年9月11日 (金)

西区、気の向くままに:そのⅡ

西区立売堀の旧大阪トヨタ(現大阪トヨペット)本社ビルの6階に以前、ある書籍取次会社の本社が入居していた。書籍・雑誌などの出版物は出版社から書店に直接届くわけではない。紀伊國屋書店もジュンク堂もそれは同じである。書店との間に取次という卸売の配本会社が介在しているのである。この業界では卸売のことを取次と呼ぶならわしがある。書店が吟味して仕入れるのと違って、委託販売で配本するのだから取次のニュアンスになるわけである。

その取次会社は柳原書店という会社だった。だから書店といっても店舗ではない。取次の老舗だった。その会社が出版不況のあおりで199912月に倒産してしまった。もっと以前は同じ西区の白髪橋近くに、銀行を買い取ったような立派なビルが本社だった。詳しいことは不明だが、京都支店が置かれたり、流通センターを京都府久御山町に持っていたことから、あるいは京都発祥の会社だったかもしれない。

私は一時出版に関わったことがあった。個人で出版をやったのだった。出版社・出版元のことを版元という。出来た出版物は取次に持ち込むと本屋さんに配本してくれる。

でも、とうぜんに大手の取次は小さな出版社など相手にしてくれない。その中で柳原書店が取引してくれたのだった。

もうおわかりだろう。出版社・版元とは文を書くことでもない。編集をすることでもない。勿論、印刷をすることでも製本をすることでもない。本を企画して形にする本のメーカーのことである。

現在、出版物の取次は二大取次会社が圧倒的に大きなシェアを持って君臨している。日販と略称される「日本出版販売」と東京出版販売から社名変更した「トーハン」である。大阪にある取次会社はなにわ筋を入った西区新町二丁目に「大阪屋」が三位の取次会社として存在している。大阪屋の建物は元「新町演舞場」だったそうである。

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▲西区新町二丁目、取次会社「大阪屋」

(写真:ウィキペディアから)

こうした出版物流通の源流は、1941年に設立された日本出版配給株式会社に求めることができる。政府は全国の取次240社あまりを強制的に解散させ、これらを統合した一元的配給会社が設立された。それが日本出版配給で、役員も旧取次からの横すべりが主で一見民営のように見えるが、役員の選任や重要事項の決定には監督官庁の承認が必要とされるなど、実質的には政府の統制下に置かれていた。これ以降、出版物は検閲を受け、奥付に配給元日配の名と出版社の住所を明記しなければ日配は配本しないと定められ、日配は言論統制のための機関となった。

戦後1949年、日本出版配給の閉鎖指定から、それを母体として日販・トーハンなどが設立された。同時に日本出版配給大阪支店を母体に大阪屋が設立され、現在も西日本を中心に日販・トーハンに次ぐシェアをもっている。地方の取次会社も設立されたが、長続きせずに消滅したようである。

何を言いたかったのか? 世の中の仕組みというのはそういうところがある。消費者によく知られているのは本の場合は、書店であり、出版社だが、実際には規模も桁違いに大きいのが取次会社である。書店首位の紀伊國屋書店も、出版首位の講談社も取次の規模に比べたらものの数ではない。地味で隠れた存在こそ影で影響力を持っているということか?

2009年9月10日 (木)

西区、気の向くままに:そのⅠ

大阪ではなぜか最初にできた区が東・西・南・北区だった。方角の区名とは芸のないこと。お陰で方角だけの区が大阪では都心の区ということになった。都心の区だから業務地区になり、人口は減ってドーナツ化したが最近は都心回帰の揺り戻しとか。東区と南区は合区して中央区となり、北区も大淀区と合区して大淀区の名前は消えて統合北区となった。

そんで大阪の都心てどこなの? といえば伝統的な考え方では船場となるかもしれない。これは旧東区で今は中央区である。しかし、昔に比べて大阪の重心は北上しているし、中之島が北区で、市庁舎も北区中之島であるのもあって、どうも中之島・堂島がかっこいい住所表記であったりする。

て、ことで北区・中央区は間違いなく都心だけれども、もうひとつの方角区の西区はどうか? これもはっきり言って、バリバリの都心。中央区以上かも。

そんなことない。何しろ切り札の御堂筋が中央区だからね。へそ曲がりのボクは四つ橋筋中心説を唱えておったのだが? 実際、いろいろ検証してみると、四つ橋筋中心説は間違いとは言えない。四つ橋筋は規制はないはずなのに非常にマンションが少ない。ほとんどオフィスである。どっちが都会かは断然オフィスである。マンションがあればそれだけ田舎になっちゃう。

閑話休題。西区には何といっても靭公園があるのが嬉しい。地図を見れば分かるが東西に長い都心の公園。整備されて綺麗になっている。周辺にはお洒落なお店も増えた。

まず、靭公園の噴水・水景。

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西区は面積5.2 km²、人口79,715人、人口密度15,330/km²である。古くからの市街地として都心の一角を占める。大阪に最初に置かれた区が東・西・北・南区の四区であることからもわかる。じっさい木津川から東は都心オフィス街としての性格が強い。区界は東は西横堀川のあった阪神高速環状線北行高架になり、四つ橋筋・なにわ筋・あみだ池筋・新なにわ筋等の道路が走る地域がオフィス街といえる。北は土佐堀川から南は道頓堀までの区域である。西は九条や境川の西寄りまでが西区の境界である。

企業の本社・支社などが集積しており、マンションも多いけれども経済中枢機能が集った地区である。区内に大阪厚生年金会館(ウエルシティ大阪)や大阪ドーム、大阪市立中央図書館などがある。大阪市街地はJR大阪環状線がそうであるように、三角おむすびの形をしており、東部は南北に長く、西に行くと境川、弁天町に収束する。これは土佐堀通りが四つ橋筋から西側が南西方向に角度を変え、川口、本田、境川で東西道路の中央大通り、千日前通りと交差、収束するためである。

▼西区西本町から阿波座方面(中央大通り)

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立地する企業は大同生命保険、石原産業、 長瀬産業、大日本除虫菊、NTN、東洋ゴム工業 栗本鉄工所、住友倉庫、サカタインクスなどがある。

やや地域色が強くなるが、トヨタ自動車の販売会社として、「大阪トヨペット」の本社が中央大通りに面した立売堀にある。この会社は20068月までは「大阪トヨタ」であったが、福島区本社の「大阪トヨペット」と社名を入れ替えて「大阪トヨペット」を名乗ることになったものである。古くからの大阪のトヨタディーラーとしてはトヨタ自動車直系出資会社の大阪トヨペットがクラウン・カリーナの取扱いであったが、他の府県ではトヨタ店がクラウンを扱っており、トヨペット店系列がマークXの扱い店である。このねじれ解消のために社名を交換したのである。これはTV局の朝日・毎日系列のねじれとよく似ている。

話は飛ぶが、ねじれというと戦後1949年に新たな学制がスタートし、そのとき発足した大学に大阪学芸大学がある。大阪第一・第二の師範学校を母体にした大学で、教員養成の学芸学部を置く大学だったが、ところが不思議なことに突然に1967年に大阪教育大学と名前を改称した。どうしたんでしょうね。

東京では同じ1949年に東京学芸大学が発足しているが、これは現在も存続している。ところが、現在は消滅している東京教育大学がかつてあり、それは筑波大学の母体となった。1973年に筑波大学開学、1978年東京教育大学閉学となっている。どういう狙いがあったのかよく分からないが、東京では○○教育大学は消滅してしまった。

時系列で書くと、1967年大阪学芸大学を大阪教育大学に改称。1973年筑波大学開学 1978年東京教育大学閉学、東京学芸大学はズーと存続。となります。

大阪の関係者は名前にはあまり拘らないようで、別に何とも思ってないと思いますがね。これもねじれでしょうか?

※プログの更新が非常にやりにくい。ボクの視力が弱くなったのもあるが、どうもそれだけではない。

一度更新したものを編集、修正すると写真が移動したりする。だから一度アップしたものは修正しない主義で行こうとしたのだが、今回は文章の体をなしていないのもあって、少し添削を余儀なくした。

それに文書作成の段階で、フォントの大きさがころころ変わる。いきなりブログ更新画面に書けばそうでもないが、内容を熟慮するために一旦ワードなりに書くともういけない。どうにもならん使いにくさ。

昨日、書店で「日経PC21」を見たら、『余計なお世話はもうたくさん!』とあった。VISTAのワードの使いにくさをいってるらしい。いろんな機能が付き過ぎて思う通りにできないイライラも限界ってことだろう。

すべて、自分の思うことだけできれば十分なにに、ワードは機能が増えるほど使えなくなった。

やっぱりフォントの大きさはなおらん!もーいいや。

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