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2010年6月

2010年6月29日 (火)

四つ橋筋北上す!

四つ橋筋は重要な南北幹線道路です。御堂筋が最重要なのは論を待たないが、四つ橋筋の重要性は堂島・中之島と西梅田とのつながりにおいて御堂筋に勝る。

四つ橋筋を北に延長すると、大阪駅の中心を貫通する位置になることと、西梅田の成立は偶然ではない。

大阪の都心をどこに定めるかというときに、私が四つ橋筋中心説を採る理由もそこにある。四つ橋筋を北に延長すると、梅田北ヤードの東側になるから、北ヤード、西梅田、堂島、中之島と四つ橋筋でつながっているのです。

ですから、堂島も中之島も四つ橋筋の西側が重要ということ。都市の視点で賑わいにとらわれすぎては、本質を見誤る恐れがある。

梅田北ヤードがなぜ重要か?

大阪の都心を定めるときに、狭い大阪市だけを考えてはいけない。すくなくとも近畿広域、あるいは西日本全域を念頭において、大阪の都心を考える必要がある。

人口重心と玄関としての駅の位置を考慮すると、大阪の都心は大阪駅の南側よりも、北側の方がより近畿の人口重心に近い位置ではないか。

大阪市内だけを考えると、淀屋橋から本町方面の集積が大きいけれども、大阪の中心はすなわち近畿・西日本の中心であるべきと考えると、その適地に新たな都心を創造すべきといえる。

交通の流れと力学は重要になるけども、都市計画のゾーニングなどに、よく見かける国土軸なるものも、東京の都合が見え隠れしているので、注意するべき。大阪としては大阪主義を取って、国土軸など大阪起点と考えてればよい。

戦後、新幹線の開通で新大阪が生まれ、大阪に国土軸の発想が刻み込まれた。それまでの大阪には国土軸もなにもなかった。すべての中心が大阪であった。大阪にダメージを与える東京の作戦だったのかもしれない。

閑話休題。

えっと、四つ橋筋にもどることにしましょう。

中央大通との交点、北東角に工事中なのが、オリックス西本町1丁目ビル。超高層29階建てオフィスビル。高さ133.1m、すでに28階まで到達して、完成に近い姿になってきました。撮影は619日です。

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オリックスグループ大阪本社になるビルです。梅田北ヤードなどにも必ず参画している数少ないリース・金融企業。大阪の開発事業を引っ張る企業です。

この西本町の敷地は、以前大阪銀行本店があった場所です。名前は大阪でも地方銀行の悲しさ。バブル以後、吹っ飛んで近畿大阪銀行になって、いまはりそなグループ傘下になっています。

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次は、中之島フェスティバルタワーの現場です。大阪の大規模工事でも、完成まで最短を走ってるのですが、まだ地上に出てませんね。ビルの工事は地下に時間がかかるのですよ。

アクア堂島、第三ビル、堂島ダイビル(ANAクラウンホテル)フェニックスタワーなどが見えています。右は三井物産ビルです。

渡辺橋を渡ると堂島になります。堂島アバンザの南側に4月オープンしたのが、ホテルエルセラーン大阪。道路の裏側にオフィス棟があります。

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桜橋までくると、もう西梅田になります。
ここから、さらに北上すると、大阪駅を突きぬけて梅田北ヤード。
四つ橋線を延長する西梅田・十三連絡線、それになにわ筋線の鉄道新線計画があります。いちど、その鉄道計画もやってみたい。

2010年6月24日 (木)

阿部野橋ターミナルビル、シャープ本社移転検討

シャープ 本社移転検討 近鉄・阿部野橋ターミナルビル

前回に続いて、表題の通り本日のニュースネタ、産経関西からの引用とします。

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 シャープは23日、大阪市内で開いた定時株主総会で、近畿日本鉄道が平成26年春に完成させる予定の阿部野橋ターミナルビル(大阪市阿倍野区)に本社の移転を検討していることを明らかにした。同ビルへの移転についての検討を、シャープが公式に認めたのは初めて。

 同ビルは百貨店とホテル、オフィスなどが入居する地上60階建て、高さ約300メートルと日本一の超高層ビルになる予定。近鉄は同ビルから約3キロ南の大阪市阿倍野区長池町に本社を置くシャープなどのオフィス誘致を目指し、賃料など条件面での優遇措置も検討しているとみられる。

(2010年6月24日 08:26)
   ●   ●   ●
阿倍野橋ターミナルビルの完成がかなり先の話ですが、この時期に出た発言としては、かなり現実的になると思われます。
「本気で検討しますよ。」・・・
そんなニュアンスでしょうか?
すでに着工から半年経過で、工事は急ピッチの様相です。
工程で確認すれば分かりますが、来年あたりに鉄骨組立にかかって、グングン伸びていく気がします。

2010年6月22日 (火)

大阪圏、街ランキング

マンション販売・仲介業の長谷工アーベスト(東京都)は21日、関西の住みたい街ランンキングで西宮北口駅(阪急線、前回4位)が初の1位になったと発表した。
産経新聞によると、駅名・沿線は以下の通り。


1.西宮北口/阪急

2.千里中央/北急・大阪モノレール

3.宝塚/阪急・JR

4.梅田・大阪/阪急・JRほか

5.天王寺/JRほか

6.岡本/阪急

6.夙川/阪急

6.難波/南海ほか

9.三宮/JRほか

10.高槻市/阪急

近畿2府4県在住のモニターが回答。再開発への期待値はJR大阪駅開発PJや北ヤード開発が進む梅田エリアが95%でトップ、近鉄が高さ300mの超高層ビル建設を進める天王寺・阿倍野エリアも87%で、ランクを急上昇させた。などとしている。

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同種の調査としては、これまでにない傾向を示していたので取上げました。
皆さんはどう感じたでしょうか?

梅田、難波など、大阪ターミナル地区が上位に顔を並べているのは、住みたい街とは必ずしも言えない面もあるので、街の人気度といえるかもしれません。
人口の都心への回帰、近畿の大阪への集中も確かにあるので、そうしたトレンドの現れた結果ともいえそうです。

2010年6月19日 (土)

御堂筋の銀杏並木はどんなか?

久々に御堂筋の変貌の様子でも入れたいと思います。梅田近辺はおいて、本町、船場中央方面になります。

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この写真は去年11月の撮影ですから、もう半年前に外観はできてましたね。

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最も注目されているのが、(仮称)積水ハウス御堂筋本町ビルで、本町ガーデンシティともいわれるビルです。地上27階、高さ132mとなっています。

これは御堂筋の高さ制限の緩和措置適用ビルですね。御堂筋の高さ制限は淀屋橋・船場中央間にある最も厳しい規制でしたが、淀屋橋及び本町付近で緩和措置が取られた。

このビルの完成・竣工は今月末となっているので、もうオープンは近いと思います。

低層部はオフィス、高層部はホテルとなっていますので、ビルオープンとホテルオープンは一致しないと思いますが、どっちにしても近いはずです。

おそらく設計図は(仮称)積水ハウス御堂筋本町ビルとなっていると思いますが、設計・施工ともに大成建設ですね。大手ゼネコンの一角です。

高層オフィスビルですから、普通にS造(鉄骨造)。しかも設計と施工が同じ建築会社。こういうのは設計施工物件っていいますね。現場にとっては何かとやりやすいので、うれしい物件です。

普通は設計は設計会社が別になっていて、監理も設計会社になるのが普通ですから、工事進行のすべてに打合せ設計の承認が必要で、施工会社の監督の裁量ではできず、勝手には工事できないのです。とくに日建設計なんかだと、監理も非常に厳しいです。

設計施工だと設計の承認が省けることになります。

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写真は6月11日の撮影です。もうすっかり暑くて。

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えっと、もうひとつは同じ積水ハウスの「本町南ガーデンシティ」です。

こちらも、竣工は来春ですが、工事が進んで上棟から仕上げ工事になっていると思います。地上26階、高さ111mです。場所は中央大通のすこし南、北久宝寺町になります。

施工は鴻池・大林JVとなっています。ジョイントベンチャー、共同企業体は頭の代表会社が重要です。

現場所長も代表会社だし、とりまとめも代表会社の権限になりますので、下請けも代表会社の懇意の企業が使われることが多いですね。仮囲いにはかならず、現場所長の氏名も書いてあります。現場の総指揮と予算の権限は現場所長になっています。

このビルは鴻池組本社ビルの建替えで、権利関係は分かりませんが、鴻池組の本社はすでに西梅田・毎日インテシオに移転しています。

北久宝寺町と南久宝寺町の間のブロックで、御堂筋の東側。西側には伊藤忠ビル、南御堂津村別院、難波神社などがあります。

伊藤忠の本社は大阪駅北ビルに移転するようです。昔は御堂筋でも、久太郎町から心斎橋寄りになるとショボかったのですが、今ではビルでつながりましたね。

2010年6月18日 (金)

大仙の日本庭園、再訪

先日の報道によると、『文化庁は14日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産への推薦に向けた国内暫定リストに、仁徳天皇陵などを含む「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(大阪府)を追加することを決めた。』こんな話題があった。

先日あたり、花菖蒲も咲いていた。すこし前なので、もう終わりかも。

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それで思い出して、去年621日の記事の再録とする。

摂津・和泉・河内の三つの国の境目が堺であり、三国ヶ丘と言われる。その少し南に世界最大の前方後円墳「仁徳天皇稜」がある。百舌鳥古墳群の代表的な陵墓であり、宮内庁管轄で内部に立ち入ることはできないが、南側正面の拝殿からの見学はできる。
日本最大の前方後円墳のような言葉を漠然とイメージすると、羽曳野の応神天皇陵とともに何やら古代の河内に王朝政権があったかのようなイメージになるが、そうではない。
いずれも首都としての都は難波(なにわ)である。仁徳天皇の皇居は難波・高津宮(たかつのみや)であり、応神天皇の宮殿は難波大隈宮(おおすみのみや)である。当り前であるが、お墓と宮殿の位置は必ずしも一致しない。どっちにしても宮殿の地、首都は難波ということになる。当然といえば当然なのだが・・・

仁徳天皇稜と御陵通りの道路を挟んで南側が「大仙公園」になる。

庭園鑑賞は6月がシーズン(勝手決め)ということで、はたまた思い立って大仙の庭園(大仙公園 日本庭園)を再訪してみた。よく整備された日本庭園である。大仙公園の西寄りにあるのだが、公園東側の入口近くには茶室「伸庵」や「堺市立博物館」もあるが、ここからはかなりの距離がある。

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大仙公園日本庭園【庭園概要】パンフレットより
総 面 積●26,000
庭園形式筑山林泉廻遊式
設   計大阪芸術大学教授 中根金作
休 憩 所数奇屋風寝殿造り(建築総面積:376.07㎡和室1884畳・土間181.7㎡)
管   理南海・田中・大阪造園共同企業体(指定管理者

庭園は南北に長い敷地に、筑山と池や渓流、滝などをしつらえた本格的な日本庭園である。庭園内の建物は数奇屋風の大きな「休憩舎」の他に、「甘泉殿」「傘亭」「流杯亭」「青苔亭」がある。休憩舎の和室は集会等に借りることもできる。

大仙公園も散策したのだが、私のお気に入りの堺市管理の公園。

2010年6月16日 (水)

上本町、山と坂の物語Ⅰ

大阪は坂の街といえば意外な感じがするかもしれない。

普段意識する大阪の街はどこも平坦で、起状にとぼしい地形と思われている。

だが、天王寺七坂があるように、じっさいには天王寺区などは起状にとんだ土地である。

よく知られるように、上町台地が大阪城から天王寺、帝塚山方面に伸びている。

上町台地の尾根からは、東側も西側も谷になるけれども、高さはそれほどなく、ちょっとした丘といった尾根である。けれども上町台地からは、内陸の河内平野は逆に標高の低い低地になっている。

上町台地があるせいで、河内平野を流れる河川はすべて北流し、大和川水系も天満大川に合流していた。

かつては羽曳野の石川も、河内長野の天野川の流れも天満橋に流れていた。

柏原から大阪湾まで、直線の大和川築造が完成するまで、天野川は狭山池を経由して、西除川となって北流し桑津から平野川に合流していた。


大和川の付け替え工事は1704年(宝永元年)に実施され、わずか8ヶ月で完成したようだ。平野を東西に横断する付け替え工事で、河内平野の治水は落ち着いたようだが、古くから大和川水系のショートカットは何度も考えられたようだ。

天王寺に河堀という地名があるのも、天王寺付近で上町台地を横断する河川の掘削工事を試みた名残りの地名とある。工事は困難を極めて途中で投げ出したのか完成にはいたらなかったそうだ。

※ウィキペディアの「大和川」に以下のような解説があるので、引用しておきたい。


仁徳天皇による堀江掘削
『日本書紀』巻十一の仁徳天皇十一年十月の条に、『宮(高津宮)北の郊原を掘りて、南の水(大和川)引きて西の海(大阪湾)に入る。困りて其の水を号けて堀江という。又、将に北の河のこみを防がんとして、以て茨田堤を築く』とあり、上町台地の北端、現在の大阪城の北側の大川から中之島方面へ通じる水路を掘ったとされ、大和川の排水を促す工事としては最初のものであり、淀川左岸の築堤とともに日本で初めての大規模治水工事と考えられている。

和気清麻呂の工事
律令制制定以降もたびたび大和川流域一帯で護岸工事が行われ、『続日本書紀』の記述によると、弓削道鏡による西京建設と前後して河内国志紀郡・渋川郡付近の護岸工事がのべ3万人余りの労力で行われたとある。

その後、延暦7年(788年)ごろに和気清麻呂により河内川(現在の平野川)を西へ分流させるべく本格的な流路変更が試みられた。のべ23万人の労力で現在の四天王寺の南付近を掘削する工事が行われたが、上町台地の高さの前に挫折した。現在の天王寺区・阿倍野区の地名である「堀越」「北河掘町」「南河堀町」「堀越神社」などの名はこの工事が由来していると言われている。


JRの大阪環状線も関西線も、寺田町から高架線なのに、天王寺駅は大規模な掘割で台地を横断している。新今宮にくると再び高架になる。鉄道は台地を横断できても河川ではムリがあったと考えるほかはない。

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阿倍野から上本町方面遠望、手前に掘割部にJRの線路が通る

上本町も事情はほぼ同じだ。そもそも玉造まで天王寺区になっているので、上本町はバリバリの天王寺といえる。文教地区といわれる天王寺区だけに、多くの私学公立の学校がひしめいている。府立の高津高校や清水谷高校も進学高であるが、良家の子女が通うので有名と聞いた。秀才高で名高い天王寺高校は阿倍野区にある。同様に生野高校は松原市にある。

私は車で大阪の街をよく走るので、たいていの場所なら行ったこともあるが、それでも未知の場所はある。上本町の周辺では、駅の東側のガードをくぐる小橋町南北線から玉造筋まで。近鉄線の南側、玉造筋にある細工谷交差点の西側一帯が、心惹かれる未知の場所だった。

上本町、山と坂の物語Ⅱ

へ続く

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大和川・石川合流部、ウィキペディア引用

2010年6月12日 (土)

上本町はどう変わるか?

数年前から超高層マンションの建設が目立った上本町も、雨後の竹の子状態は一段落したようだ。代わって工事が進んでいたのが、近鉄上本町ターミナル関連工事。

近畿日本鉄道もご多分にもれず、今年が創業100周年とか。

以前の報道によると、上本町駅整備事業は100周年の平成22年夏オープンをめどに工事が進められていた。目玉は新歌舞伎座の移転先の上本町駅南複合ビル(仮称)だけと思っていたが、いつの間にか近鉄百貨店上本町店が入る、近鉄上本町ターミナルビルも改修工事をほとんど終えて、以前の外観とかなりイメージの違う建物に改装されていた。

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左の高層ビルが「シェラトン都ホテル大阪」、右が近鉄百貨店上本町店

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左角地に近鉄上本町店、その右奥に上本町駅南複合ビル、その後ろは「ウェリス上本町ローレルタワー」。

やっぱり建物は顔だからね!これは大きい。以前のビルは窓以外変化のない、平面的でのっぺりした感じに見えたのが、こんどは窓ラインの縦ストライプが強調されたデザインになった。なぜか以前より低く見えるのは不思議だが、最上階を横ラインにして、デザイン上分離したからだろうか。

計画概要を見ると、南複合ビルとの間に地下と地上4・5階に空中回廊があるようだ。近鉄百貨店との一体性と、中庭(歩行者広場)も再整備される。

上本町は阿倍野橋ターミナル整備事業より一足早く、この夏オープンのようなので、これも楽しみにしてよいだろう。大阪はじっさい梅田を筆頭に、ターミナル拠点の工事が各地でたけなわである。

あまり目立たない上本町の工事も、地味ながら都市機能に厚みを増して、大阪の大きな財産になる。街の整備という意味では大手私鉄が多数あるのが大阪の強みといえる。私は住まいからは離れるが、天王寺も上本町も馴染みの町なので期待も大きい。

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南側から、上本町駅南複合ビル。右手前の古いビルは関係ありません。分かりにくい写真です。いちど撮り直したいと思います。

工事名称は「上本町ターミナル整備工事のうち(仮称)上本町駅南複合ビル」である。

上本町駅南複合ビル(仮称)工事概要

1.所在地:大阪市天王寺区上本町6丁目(近鉄上本町駅南隣)

2.敷地面積:約5,500㎡(歩行者広場含む)

3.延べ床面積:約38,000

4.構造規模:地下1階 地上13階建て 鉄骨造 高さ約60

5.建築主:近畿日本鉄道㈱

6.投資額:約130億円

7.全体工期:平成206月(撤去工事着手)~平成22年夏完成(近鉄創業100周年)

フロア構成は、地下1階~地上5階までが商業ゾーン、地上7階~地上13階がオフィスゾーン、地上6階~地上8階が劇場ゾーンとなっている。

地上7階から上は、西棟と東棟に分離した形になっており、正面西棟の上層階はオフィス、東棟の地上6階~8階に新歌舞伎座が入る構成になる。

詳しくは上本町ターミナル整備の全体計画について

この斜め向かい、上町筋西側に建築中だった「ダイワロイネットホテル大阪上本町」がほとんど工事を終えている。オープンは76日となっていた。上本町は公共のホテルは多いが、「シェラトン都ホテル大阪」以外にホテルが少なかった。

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今回、実際に現地を見て、上本町の可能性を大いに感じた。とくに東部低地との連続性に期待を持たせた。具体的には上本町と鶴橋のつながり。鶴橋は上本町の連担補助ターミナルとして、これまでの断絶性から補完関係成立の可能性といえる。

鶴橋駅周辺はすぐには無理にしても、上本町の東側が近年急速に整備され、きれいな高層マンション街として、おどろくほど変貌している。

上本町駅の東側、千日前通の小橋町と細工谷1を結ぶ、南北通りからは鶴橋方面の玉造筋にかけて、地形は東に低く傾斜になっているが、天王寺上町の優良住宅地区が次第に拡大し、鶴橋に接近しているのが見て取れる。天王寺区と生野区の区界はJR環状線にある。

できれば、上本町・鶴橋の詳細レポートもやってみたい気がする。

2010年6月10日 (木)

阪神高速の路線、上り・下りは?

前回、「対岸の人工島の陸地側は泉北臨海緑地が整備され、阪神高速・5号湾岸線が通る。」と書いたが誤りにつき訂正します。

阪神高速・5号湾岸線は、4号湾岸線の誤りです。

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浜寺公園の対岸の人工島を通過している阪高4号湾岸線

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浜寺公園の広大な松林。南北約2kmほど続いている

湾岸線は天保山JCTを境に、六甲アイランド北までの神戸方面を「5号湾岸線」。りんくうJCTまでを「4号湾岸線」としています。

ある意味、これは席次としても面白い現象といえる。

つまり、大阪から神戸方面よりも、泉佐野方面を序列が上としている。近畿地方のこうした序列は、関東地方とまったくちがう慣習がある。どちらかといえば、横並びで並列しているが、大阪を中心にして放射線に見ると、京都方面、神戸方面が上位にくるのが一般的になる。専門的より一般的になるほどこの傾向がみられる。

阪神高速道路においては、近畿の暗黙の慣習を無視して、東京のそれに近い思想をそのまま大阪に持ち込んだように、大阪主義とも取れる傾向を示しているのが面白い。

この湾岸線についても、天保山で区切り、大阪府内側が上位の「4号湾岸線」とし、兵庫県に向かう方を下位の5号にしている。府内が上位、他県が下位は関東と同じである。

そもそも天保山の区切り自体が大阪主義と取れる。湾岸線は「泉佐野~神戸」の一本説を否定し、「阿波座~天保山~泉佐野」のルートをメインに、「阿波座~天保山~神戸(六甲アイランド)」の補助ルートもありますよ。そう言っているニュアンスである。

阪神高速道路において、当初は何号という番号は付けてなかったけれども、路線が多くなって付けられた。こうした番号は席次を意識させることになる。

とうぜんに若番が重要度も高い。「1号環状線」と、環状線が最上位と分かる。ときどき地方の事情の知らない人などは「大阪環状線」などと書いていることもあるが、これはあくまで「環状線」。「JRじゃないんだから」・・・。

とにかく阪神高速は大阪の都市高速だから、大阪と付けるのがおかしいという考え方。じじつ阪神高速発足当初は「大阪高速」と呼ばれていた。大阪タイガースから阪神タイガースになったプロ野球球団に通じるものがある。兵庫県にあっても大阪というのがベストなんだが、じっさいは兵庫県も加わって、たしか昭和39年頃に阪神高速に改称された歴史がある。

一桁番号は基幹路線。11号池田線からの10番代は放射線としている。

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13号東大阪線上り、法円坂付近

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東大阪JCT付近、手前左から右上に伸びるのが13号東大阪線。左右に走るのが近畿道

ここで注意を要するのが、路線の上り・下りである。阪神高速の大阪主義の本領が発揮されるのはこれ。あくまで大阪都心に向かうのが上り。そうなると、12号守口線、13号東大阪線、14号松原線などが面白い。池田線から時計回りの番号になっている。

12号守口線というのは、最終の末端は国道1号線に直結している。京都・東京方面につながる路線。この守口線が大阪から京都方面が下りになる。つまり東京方面が下り。

13号東大阪線は生駒山の麓の水走ランプまでだが、そのまま直進すると第二阪奈道路に直結して奈良の東西幹線、大宮通につながる。奈良方面が下り。奈良は大阪人以上に大阪大好きだから異論の出ようがない。

14号松原線も、そのまま直進で西名阪道に直結している。いわずと知れた高速自動車国道で、これもまっすぐで名古屋に至る。中間に名阪国道を挟むが、松原線・西名阪道ともにおどろきの名古屋方面が下り。

これらの事実をみると阪神高速こそ、大阪絶対主義といえる。大阪の自信回復の源泉になるのではないか。そんなにがんばらなくても、近畿地方では普通に大阪中心に物事の序列がある。たまに遭遇する京都に価値をおいたようなことはすくない。

しかし、世の中に蔓延する事象は逆に大阪の価値を下げる方向にある。大阪に働く得体の知れない力は、まるで引力のように、上昇を妨げるチカラとなって大阪の足にぶら下がっている。

阪神高速でも明らかなように、大阪・近畿地方での鉄道・道路などの路線名は行先地名が多い。阪急京都線、JR京都線というと、大阪からという前提で京都に行く路線。同様に宝塚線、神戸線などと名付けてある。大阪中心が常識の考え方だから、大阪は暗黙の了解である。大阪ではこれがデフォルトといえるが、地方の人はこれが理解できないこともあるらしい。その理由は、大阪が近畿・西日本の絶対的中心と理解できていない場合が多い。

2010年6月 9日 (水)

浜寺公園・高師の浜

浜寺公園はかつて高師の浜と呼ばれたそうだ。高師浜の地名は今もあるし、高師浜という駅もあるので、別のニュアンスと思っていたがちがうようだ。
浜寺公園は大阪の海浜リゾート地として、昔から大阪人には馴染みの場所である。
周辺は早くから開けた閑静な住宅地が続いていることでも知られている。
何より、かつて大阪では最も身近な海水浴場だった。今もその名残は十分に残っているのだが、昭和30年代に埋立て人工島が造成され、白砂青松の海岸はコンクリート護岸になると同時に、浜寺水路を挟んで対岸の人工島にコンビナートが横たわる光景となった。
沖合は堺泉北コンビナートの人工島に変貌したのである。石津川の北側も埋立地が造成されて築港新町なる場所に「みなと堺グリーンひろば」などがある。ともに飛行場ができるほどの広さがある。対岸の人工島の陸地側は泉北臨海緑地が整備され、阪神高速・5号湾岸線が通る。

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園内は広大な松林が続いており、暑い初夏なのに松林の緑陰は不思議なほど涼しい。

一見しただけでただの松林ではない雰囲気は伝わってくる。おそらく浜寺公園は有名だが、現在の事情は知られていても、それ以上に深く知られることはないと思える。

大きな府営公園なので私自身も何度も行っているのだが、特別の施設以外は無料なので、あまりパンフレットを見る機会がすくない。今回汽車乗り場の花壇広場前駅まで行ったら、パンフレットをくれた。それでパンフレットを入手できたが、さもなければ、パンフを受け取る機会はない。しかも由来などを詳述しているパンフもあるので、関心を持って読まないと一生知る機会はない。私がそうだった。

主な施設は「ばら園」「交通遊園」「児童遊戯場」「プール・大小9面」「野球場・球技広場」「テニスコート」「アーチェリー練習場」「レストハウス」などとなっている。

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パンフレットによると、「日本の名松100選」というだけでなく、万葉の時代から愛されてきた松林だそうだ。

白い砂と青い松の美しい景観は「世に比類なし」と謳われていたとある。

パンフレットのひとつに【浜寺公園記】というのがあった。「浜寺の歴史を語る白砂青松のものがたり」とある。そこには、

【浜寺の由来】

元享年間(13211324)に建立された「大雄寺」が、後の南北朝時代に吉野山を「山の寺」と呼ばれたのに対し、「浜の寺」と呼ばれたことに由来する。

【高師の浜】

浜寺公園は万葉の時代から高師の浜(たかしのはま)と呼ばれていた、美しい松原の続く海岸でした。と解説されている。

現在の地図では、南海本線の羽衣から高師浜支線が別れて、終点が高師浜駅となっている。羽衣の南に高師浜の町名もあるのだが、パンフレットには浜寺自体が高師浜と呼ばれた、とある。

これは「高石の浜」が詰まって「高師浜」になったと考えるのが自然である。

羽衣、高師浜、浜寺にしても、周辺の諏訪ノ森、助松にしても、みな美しい地名である。

明治期に入ってから、幾度も伐採の危機にさらされたが、当時の村民や大久保利通の尽力により、守られてきたようだ。

「濱寺公園碑」の他に、大久保利通の「惜松碑」、「与謝野晶子歌碑」などの石碑が建立されている。

パンフ記載のうちの歌二題

おほともの

高師の浜の松が枝を

まきてしぬねど家ししのはゆ

           万葉集

ふるさとの

  和泉の山をきわやかに

    浮けし海より朝風の吹く

          与謝野晶子

大阪湾はちぬのうみと呼ばれた。
すでに還暦を過ぎた私が振り返っても、住まいは大阪市内であったが、小学校の遠足は大浜に潮干狩りであったり、中学あたりになると、浜寺に海水浴というのが定番になっていた。浜寺は松林の続く遠浅の海岸が続いていた。
阪堺線でも、阪和線の鳳乗換えでも天王寺から行けるのは今も変わっていないのだが、当時、海水浴場がなくなってから、代わりにプールができたと聞いた。
大阪は大都会でありながら、すぐそばにこんな贅沢なリゾートがあった。何ものにも代えがたい価値ではないだろうか。

浜寺公園が私にとって気になる公園というのも、松林に対する憧れもあるが、子供時代から馴染んだのと、この美しい海岸を潰してコンビナートにしたことが、戦後の大阪の最大の失敗とする意見も聞かれるからである。非常に美しい自然風景などは都市の価値を高めこそすれ、落とすことは決してない。


2010年6月 3日 (木)

JR西日本225系の衝撃!

昨年9月に新製計画が発表されていた、JR西日本の新型近郊型電車225系の第一弾が完成し、先月近畿車輌でプレス公開された。

その時点で、投入は「新快速」と「阪和線」と一部で報道されたことから、にわかに鉄道ファンの関心が高まり、静かだった近畿地方の鉄道界も話題沸騰の盛り上がりとなった。

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去年9月のプレスリリース

注目の新製両数は、昨年の計画発表時には約200両(投資額約300億円)と発表されていたが、今回合計226両が新製されると正式に発表された。
「新快速」等に充当される0番代(最高運転速度130/h)が110両、阪和線用の5000番代(最高運転速度120/h)が116両となっている。
阪和線投入は予想外だったことに加えて、この内訳、新快速用0番代が110両、阪和線用5000番代が116両。なんと、阪和線用が116両と、東海道・山陽線の新快速用110両を上回る車両数になった。
ここにファン心理を読むことができる。

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紀州路快速の223系、和歌山駅で

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関空・紀州路快速223系と、右大和路快速221系、新今宮駅で

鉄道ファンのブログなどは、もうこの話題で持ち切り。
それぞれに、詳細な独自予想を語っている。私も予想を言いたいのですが、予想をできるほどの基礎知識を持ち合わせていないのが残念です。

予想するには、最低でも現在の阪和線・きのくに線の運転状況と、使用車両形式だけでなく、大和路線・大阪環状線の状況と、受け持ち車両基地の日根野区、奈良区、森ノ宮区などの配置車両とその両数と形式が頭に入っている必要がある。
これが分かっていると、新製車両116輌が順次完成すると、自分なりの配置予想ができるのです。古い車両は新車投入で、押し出し、捻出で淘汰する。
今回の225系阪和線投入、きのくに線も関連するような事情をどなたか書いておられた。
以前あった、阪和・紀勢線の直通運転復活をJR西は考えているとの情報がある。
かつて113系紀勢線直通快速の湯浅行、御坊行、紀伊田辺行などがあったのだが、紀州路快速が関空快速と併結和歌山行としているために、現在はほどんどなくなっている。

いずれにしても、225系完成投入は2012年末までとなっているので、これから二年あまりで阪和線の電車は大きく変貌することになりそう。
とりあえずはJR西としては、すべては2011年春、大阪駅新北ビル開業睨みのようだ。

JR西日本は近郊電車において、JR東日本ほどの規模はないけれども、それでも今回の新製両数が226両の300億円を上回る規模である。
現状の形式別車両数にしても、日根野配置を除いた223系が網干に628両、221系が474両と、やはり私鉄に比してそのあたりは大量投入を可能にしている。私鉄の電車が、フルモデルチェンジをやりにくい理由もそのあたりにあるのではないか。
私にとっては、鉄道ブログでもないのに、これまでになく鉄道ネタに突っ込んだ話題になった。昔はヲタ限定だった車両の形式も、最近は新幹線など一般マスコミに普通に報道される。N700系とか・・。500系のぞみあたりからだろうか。
これはある意味、逆転現象といえる。
一般的に鉄道マニアは新幹線の形式などはあまり関心がなくて、無知な人が多い。新幹線だけは趣味の対象外のニュアンス。鉄道マニアが知らないのに、500系だの、0系だのと一般人が語るのに非常に違和感がある。


阪和線は昔から古い電車の吹き溜まり。
その冷遇ぶりに、いたたまれない気持ちのファンが多い。
どうせ、「今回の225系も、阪和線にくることはないだろう」・・・
ほんとは阪和線に入れてほしいけれども、それはないだろう。というのがファンの予想。
ところが、予想だにしない阪和線投入の報道! これが衝撃でなくて何であろう。

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