2013年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

スポンサー

無料ブログはココログ

« 第二京阪道路、3月20日全線開通 | トップページ | 弁天町の印象 »

2010年3月 9日 (火)

庚申街道&高野街道

このところ寒さのぶり返し。まともな天気がないので、青空が恋しい。したがって更新のモチベーションも低下気味。でもって、ご近所散策でお茶にごしとする。

庚申街道ってご存じだろうか?

じつは近鉄阿部野橋駅には庚申口というのがある。JR天王寺駅東口の正面、天王寺都ホテルの横にある地下コンコースへの入り口が庚申口。この庚申とは四天王寺・庚申堂からきたもの。庚申まいり参道ってわけ。それで庚申街道の一部にもなっている。地下を抜けて松崎町から南を目指す。

調べてみると、庚申街道は四天王寺・南大門を起点に中高野街道方面への街道であったらしいのだが、じっさいには阿倍野区や住吉区あたりの地元住民は、あびこ筋の一本西側の平行する道路を庚申街道と呼び慣わしている事実がある。いまでも場所の説明などで、この庚申街道の呼び名にときどき出くわす。

ピンとこない人には、昭和町や西田辺の交差点の、ひとつ西側の信号の南北道路といえば分かりやすい。しかしこの道路は南港通以南へは一方通行のため自動車では進めないし、JR長居駅付近で消滅してしまう。本来の庚申街道は阿倍野区役所付近から桃ヶ池、田辺方面に向かうルートだったの記述はあるのだが、住民が勝手に呼び慣わした庚申街道の方がピッタリマッチしている。

これとよく似た街道に難波大道という古代の道もある。四天王寺起点は同じで竹之内街道をたどって飛鳥に至ったという。庚申街道はご近所道であったのかもしれない。

Cimg9125

Cimg9117

※庚申堂はに天王寺南大門から南へ200m

Cimg9111

※あびこ筋に平行する庚申街道(昭和町付近)、真北に見えるのは「シティタワーグラン天王寺」

いずれにしても不明な部分が多いのだが、分かりやすく整理するならば、高野街道というのがいい。河内長野から高野山へは国道371号が高野街道である。河内長野までのルートは東高野街道、中高野街道、下高野街道、西高野街道と4本のルートがあって、河内長野で集束して1本になる。

このうち中高野街道、下高野街道は大阪市内から高野山を目指すルート。西高野街道は堺から国道310号のルート。下高野街道は庚申街道と同じ、四天王寺・南大門起点。田辺から天美に抜けるルートで、狭山で西高野街道に合流する。大和川の築造は新しいけれど、現在も近鉄南大阪線の西側に下高野大橋の名があるので、これに比定できる。

中高野街道は平野起点の国道309号にほとんど一致している。これも大和川に高野大橋の名があるので間違いない。三宅、美原を通って河内長野で西高野街道に合流する。

残る東高野街道は国道170号になる。新しい大阪外環状線も国道170号であるが、この場合は山側に平行する旧道になる。大阪外環・国道170号は高槻に向かうが、東高野街道は東寄りのルートをとって、洞ヶ峠・八幡から京街道に合流したとされる。

なにせ大阪の歴史は極めて古いので、各種の文献も時代的な混乱は整理できていない印象がある。最古の官道とされる竹之内街道も堺起点になっているが、難波宮遺跡や四天王寺より古い仁徳天皇の難波高津宮は無視してもよいのか。東高野街道は京都と高野山を結んだとされるのをみても、高野街道の呼称がいつからあるのか定かではない。

私自身も高野山と何の関係もなさそうな、大和川に唐突に高野大橋があったりするのが理解できなかった。

« 第二京阪道路、3月20日全線開通 | トップページ | 弁天町の印象 »

大阪の道路」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1256578/33695323

この記事へのトラックバック一覧です: 庚申街道&高野街道:

« 第二京阪道路、3月20日全線開通 | トップページ | 弁天町の印象 »

スポンサードリンク

ウェブページ