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2010年2月23日 (火)

続、ナンバーの考察

山城ナンバーにはびっくりさせられたが、悪夢は現実とはならないように思える。よく考えてみれば、大阪の隣接府県はすべて一県一ナンバーということ。兵庫県は広いのと、姫路ナンバーは隣接していない。大阪の影響を考えると、事実上兵庫県も一ナンバーになっている。

この意味を考えると、関東や中部は逆になっているので、やはりあえてそうしてあるように思えてきた。京都府、奈良県、和歌山県とすべてナンバーは県都と一致した名称にしている。わかりやすく拠点性が強調されるナンバー名といえる。

京都府を例に例えれば、「山城ナンバー」ができたり、日本海側には「舞鶴ナンバー」ができたりすると、「京都ナンバー」が少なくなってしまう。京都ナンバーはできるだけ多くしておきたいと考える。私にはそれが霞ヶ関視点に見える。大阪のまわりにナンバーが増えると、県都の印象なり拠点性のイメージが減じるということではないか。

それに、どの府県も大阪ほどの影響力がない。府県という枠組みにくくられているにすぎないので、県名一致のナンバーにしておいた方が、各地がバラバラに大阪と結びつく心配もない。

前回書いたように、じっさい関東では東京都のナンバーよりも、千葉県などのまわりの方が種類が多い。まわりはバラバラにしておいた方が、結束力が弱まりすべてが東京のベッドタウン一色に見えるのではないか。これは広い関東に空港は羽田一つに集中させるのに似ている。その裏返しが大阪になるようでもある。

国政といえども、結局はすべての目標は、大阪を意識したうえでの大阪弱体化政策といえるのだが?

それと京都で思い出したが、東京の京都マンセーについて、私なりの結論を書いておきたい。以下にNHK「その時、歴史は動いた」から引用

 『日本の首都は、京都か大坂か、それとも江戸か?幕末の最終局面、都を京都から移そうという、大胆な計画が打ち出された。その行く先は、私たちが常識のように考えている東京(江戸)ではない。大坂であった。
 この大阪遷都案を画策したのは薩摩藩士、大久保利通。大久保の遷都構想は、17歳の若き天皇を、平安朝以来の京都の保守勢力から引き離すことで、新体制のリーダーとしての成長を促すと同時に、天皇親政の新たな近代国家が誕生しようとしていることを、国の内外にアピールするという、画期的なものだった。・・・
 幻に終わった、大久保利通の大坂遷都計画とはどのようなものだったのか?そして大久保はどのようにして、未曾有の大改革となる「東京遷都」を成し遂げていったのか。その背景の知られざるエピソードを紹介しながら。遷都が日本にもたらしたものは何だったのか考える。』

様々な書物でも語られる東京遷都劇であるが、じっさい京都人をだまし討ちのようにして、東京遷都は実現された。その後ろめたさが東京にはあるのではないか。せめてもの罪滅ぼしが京都マンセーになる気がする。でないと京都も大阪同様の扱いだと、それこそ東京は鬼畜生以上になって、全国から批判が集中する。

関連の写真はあまりないけど、東海道57次のひとつ「枚方宿」の写真、京阪5000系電車

Cimg9033

それに、高槻方面の写真

Cimg9031

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